写真は「切り取って」いるのか?
写真は、
* 風景から切り取る
* 世界を切り取る
* 被写体を切り取る
* 瞬間を切り取る
という表現を、たまに見かける。この「切り取る」という表現に違和感を感じている。
写真に熱心に取り組んでいる方に多いようだ。「切り取る」という言葉を選んでいる人は、最もしっくり来る、さらには真理をついた言葉であると考えているのだと思う。
確かに、フレームに入らない物は写し取らず、フレームの中に達した光は忠実に記録するという作業を、「切り取る」というのはピッタリとした表現だ。
しかし、切られたという部分が、物理的に切り裂く、傷つけるといったイメージを持ってしまうから、違和感があるのだろうか。それだけでは無い気もする。
フレームに入れる入れないとは別に、どの角度から、どの画角で、構図を構成するかといった作業は「切り取る」であろうか? であるとしたら、ぼかすとか、動きや流してブレさせるとか、多重露光、長時間露光は、「切り取る」であろうか? ここまでくると「切り取る」だけではなく「積み重ねる」作業が入っている感じがする。
だからって、どうとかという問題があるわけでは無い。 こう書いてみると、シャッターが開いている時間を気にしているだけのような気もしてきた。