子供の成長写真を自己満足できるものにするために収集した情報を、ここに記録するつもりで、はじめましたが…。

断りがない限り、写真と本文は関係がありません。

写真を撮る動機について、理解が深まったかも

f:id:yu24s:20140309203705j:image:w320

これまで、写真に興味を持っただけの状態から上手な人まで、一つの軸の上で考えていた。 そして、写真家やプロではないにしろ熱心な趣味にしている人を見て、「あのエネルギーはすごいな」「真似できないな」、「生まれながらに別の素養を持っているのであろう」と考えていた。

しかし、一つの軸で見るのではなく、自分が楽しむためだけの軸と、人に見てもらおうという意図を持っている人の2つの別の軸と見ると結構腑に落ちる。

人に見てもらおうという意図を持っている人の軸は、 写真の質には気をかけずに見てもらおう、から始まり、より良い写真を見てもらおう、そして、感動してもらおうという軸だ。

自分が楽しむため軸は、残しておきたい、から始まり、できればより満足できる写真を残そう、と考えている軸だ。下に図を示したが、上側1本が、前から考えていた上手/下手の一軸の考えで、下側2本が2つの軸の考え方だ。

f:id:yu24s:20140309203311p:plain

この2軸は別に写真だけでなく、例えば楽器などやる人にも、人に聞いてもらいたい軸と、演奏していると楽しいという軸があるように見える。

でも、楽器などは上達するに従い、次第に人に聞いてもらおうというモチベーションが膨らんでくるのが自然に起こるのではないか? 一方、写真は、自分の満足という軸内でとどまるケースが非常に多いのではないか?

自分だけで楽しんでいると、より上手になろうというエネルギーが、あるところで満足して停滞する。より、上手になるためには、人に見せる、見てもらうというモチベーションが非常に大きな働きとなるのではないか? だから、写真上達術では必ずといってよいほど、人に見せる、コンテストに応募するということが勧められているのではないか?

さあ、明らかに自己満足を目指すを明言している「おやカメら」は、人に見てもらうという軸へ移るべきなのか?