子供の成長写真を自己満足できるものにするために収集した情報を、ここに記録するつもりで、はじめましたが…。

断りがない限り、写真と本文は関係がありません。

「ダカフェ日記から学べること」から学ぼうとしたこと

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子供写真が魅力的に感じていることは以前にも述べた。子供写真ブログで高いランクを持つブログでは、被写体である子供も、写された時の表情も、構図も、魅力的に感じる。しかし、撮影者の能力はもちろんであるが、同時に魅力を感じる共通性が存在するようにも感じる。

そこで、その共通性をネットでさまよって探していた。ダカフェ日記の価値と、子供写真ブログ全般の価値が同じ所に根付いているという保証はないが、以下の記述に辿り着いた。

ダカフェ日記から学べること (3) - 写真家の終焉について私が思う幾つかのこと

なぜなら、ダカフェ日記の商品価値は、現代社会で他人が立ち入ることの許されない唯一の空間と言っても過言ではない、核家族のプライバシー空間を、ハイアマチュア向けの機材で、背景ボケの美しいポートレートとして表現したところにあったからです。

この指摘が正しいのか間違っているのか、自分には判断できないが、少なくとも的外れではなさそうで、なんとなくわかったような気にさせられる。

ところで、子供の対極ともいえる老人の存在がある。 こちらも、今、商品価値としてあるのであろうか?

真っ先に思い当たるのは、話題となり続刊も出版されている写真集「みさおとふくまる」である。

みさおとふくまる

みさおとふくまる さようなら、こんにちは

猫という人とは付加要素も入っているが、やはり、日常生活をかいま見ている気にさられ、子供写真と同様に魅力的に感じる。 同居はしていないと思われるが、写真集の作者である仲の良い孫が撮影している点では、プライバシー空間を表現していると言える。

と、納得しかかったりしたが、プライバシー空間を表現することに価値が有るのならば、 公園で見られるような屋外で遊んでいる子供写真よりも、家の中で写された写真のほうが価値が高いはずだ。しかし、別にそのようには思えない。どちらかと言うと屋外の写真の方が、面白いものが多い。ということで、プライバシー空間の表現に(のみ)価値があるとは感じられないのだ。

子供写真の価値は、プライバシー空間の表現にあるというよりも、 動物(の特に子供の)写真を見てかわいいと思う要素と、自分の子育て体験との重ねあわせ、「そんなことあるある」という共感のような部分の両者の組み合わせで魅力を感じている気がする。

写真が魅力的であるならば、その理由などどうでもいいようなことであった。